ようこそアトリエ松竹梅へ。みなさん初めまして。ヤマモトサトルです。
ペン画をコツコツ描いています。1990年代半ばから途中休止を挟みつつ描き続け、2007年からは毎日描き続けています。
描き始めはこんな感じだった絵も、(1995年11月)
毎日描くようにすると、こんな感じに変化します。(2023年10月)
このサイトに辿り着いたそこのあなたは、おそらく絵が好きな方ですね。
もうバリバリに絵を描いている方もいるでしょう。
絵を描き始めて、上達目指して頑張っている方もいるでしょう。
描かずに見るだけ、という方もいるでしょう。
私は、芸大を受験するために本格的に絵を描き始めました。
描き始めた頃、先生に良く言われたのは、
「ヘタクソ」
「全然描けていない」
でした。信じられますか?
絵を見せると、よく言われる言葉があります。
「いいねえ、あなたには才能があって。私には才能がないから描けない。」
絵が描ける、描けない、の違いは「生まれつきの才能があるかないか」と思っている人が多いですが、それは違います。そういう事例もあるかも知れませんが、少なくとも私の場合は違います。
勉強やスポーツと同様、継続した努力の結果以外のなにものでもありません。
このサイトで、ヘタクソと言われ続けた私が、どうやって絵を描けるようになったか、どうしたら絵が上手になるか、を紹介していきます。
絵を描けるようになると、生活にはりとうるおいを与えますよ。
単なる漫画好き
美大を受験するということは、小さい頃から絵が好きだったのでは?と思うでしょうが、その通りです。
ただし、描く絵は漫画の模写ばかりでした。
中学校のクラブ活動(部活は別、部活はバスケでした)で、美術クラブを選択しましたが、描く絵は漫画ばかり。それは周りのみんなも同じでした。
担当の先生は、
「どいつもこいつも漫画ばかり描きやがって」
「外に出て風景画を描くやつはおらんのか」
ってぼやいていました。
先生ごめんなさい。今は風景画描いています。
ヘタクソからの筑波大学芸術専門学群
漫画ばかり描いていましたが、美術の授業でたまたま試してみた表現がうまくいって、それ以来美術の楽しさに目覚めました。
同じ学年に美術好きの友人が何人もいて、美大・芸大受験のために頑張っている友人もいました。その影響もあり、私も美大・芸大に行きたいと思うようになり、受験対策を始めました。
受験対策をしてくれる絵画教室に通いました。信じられないかもしれませんが、ずっと言われ続けていました。ヘタクソって。
そんなヘタクソでも、継続して描いていると、それなりに上達してきます。なんとか、筑波大学の芸術専門学群視覚伝達デザインコースに合格することができました。
結局、絵が上達するのに一番必要なことは、継続なんです。努力なんです。
ただ間違った方向に努力しても意味ないです。無駄な努力をしないように注意が必要です。
継続
継続が大切とはいっても、嫌なことを我慢しながら黙々と続けているようでは、効果は限定的になります。
ライスワーク、ライクワーク、ライフワークの違い、分かりますか?
ライスワーク
生きるため、食べていくためにやること。私も会社に通いながら絵を描いていますが、これは生きていくため、家族を養うためにやっています。会社勤めをしているほとんどの方がそうですね。
会社に行くのが好きで好きでたまらない、という方はまず見ませんね。
ライクワーク
好きでやっていること、趣味がこれにあたります。それが高じて、好きを仕事にできれば、最高のライクワークですね。私のペン画もお買い上げいただいたり、こういう絵を描いて欲しいという注文が入ることがあります。
自分の好きなペン画で、人の役にたつ、ありがたいと思ってもらえる、嬉しい限りです。
こういう努力なら効果が出やすいですが、でもやはり「努力するぞ!」のスタンスですね。
ライフワーク
ライクワークがもっと進んでくると、仕事と休暇、ONとOFF、という違いすらなくなります。食事をする時と同じ感覚、歯磨きをするのと同じ感覚、寝るのと同じ感覚です。当たり前のことを当たり前にやっているだけです。
もはや努力という概念ではないですね。
ペン画家になるきっかけ
卒業後は学習塾に勤務し、子どもたちに勉強を教えたり、進路指導をしたりしていました。その学習塾で、テキストの表紙に依頼されたのが、ペン画を描き始めるきっかけとなりました。
まさか、プロを目指すことになろうとは・・・。
まさか、ここまで描き込むようになるとは・・・。
その時は全く思いもしませんでした。
学習塾時代
学習塾講師として勤務したのは13年ほど。途中何度か勤務先を変えたことで、塾にもいろいろあるんだなぁと、いい経験をさせていただきました。
エピソード①マルサ事件
授業の前、事務仕事をこなしていると、いきなり税務署の人がやってきて、いろいろな書類を持って行ってしまいました。税金の申告漏れ(脱税?)の調査、いわゆるマルサですね。
まるで映画やドラマのようでした。かなりびっくりして、不安に思ったことを覚えています。
経営者には、「大丈夫だから、心配するな」と何度も言われました。何度も言われて逆に不安になったりして・・・。
地方版のマスコミにも取り上げられてしまい、あまり良い取り上げ方ではなかったこともあり、業績は急降下しだしました。少子高齢化の時代も始まっていて、かつての勢いは完全に失われました。
真相はよくわかりません。単なる申告漏れだったのかもしれませんが、悪い噂は流れました。
その後のいろいろな職場で、話のネタにさせてもらったり、酒の席での話のネタにさせてもらいました。
ごめんくさい。
エピソード②中傷ビラ事件
早朝、地域住民や地元の学校から、いきなり経営者に連絡が来ることがありました。
「おたくの塾の悪口が書かれた中傷ビラが、たくさんばら撒かれているよ」
現場に駆けつけると、確かに、全く根拠のない中傷が印刷されたビラが、おそらく通学路であろう住宅地の歩道や車道、公共のスペースに何百枚とばら撒かれ、朝露に濡れてクタッとしていました。
当然回収してまわりましたが、犯人は誰なのか・・・?
経営者は、犯人の目星はついていると言っていましたが、具体的に誰かは教えてもらっていません。かつて勤務していて、もうやめた先生ではないかという噂はありました。
こんなことが何回がありましたが、ある時、
「張り込みをして、証拠をつかもう」
という話になり、今後ばら撒かれそうな場所を予想して、徹夜で張り込みをしました。クルマの中に隠れて、一晩中、見張るのです。
刑事ドラマみたい。
これを何回かやりました。なかなかしんどかったですが、今思うと、面白いですね。
犯人が現れても、出ていって接触してはいけない、写真に撮るなり証拠を残せ、と言われました。接触して揉み合いになり、別の事件になるといけません。
結局犯人に出会うことはなく、しばらくするとビラを撒かれることも無くなりました。
今も真相はよく知りません。どうなったのかなぁ。
製造業へ転身し、プロを目指す
この文章を描いている2024年現在の立ち位置がここ。
学習塾業界ではこの先やっていけなくなるのではないかと思い、思い切って製造業へ転身しました。業務内容は、絵とか、デザインとか、全く関係ありません。
製造業勤務も年月がたち、気がついたら学習塾時代よりも長くなりました。近々ペン画家として独立する予定です。
まだ手探り状態、勉強中ですが、ここからペン画家として起業し、同じような境遇の仲間と繋がりを持ち、楽しく生活していくことを目標に、今後も励んでまいります。
う〜ん、楽しそう!
それではまた。ごきげんよう。
アトリエ松竹梅物語 第1話