学習塾エピソード
先生としての仕事以外にも、いろんなことがありました。
東海豪雨
入社当初のある日、東海豪雨に見舞われ、普段30分で帰宅できるところを2時間以上かかりました。まあ帰宅できただけマシでしたが。
途中で何台か動けなくなって放置されている車を見て、あわてて道を変えたりして、何とか無事に帰宅できました。
中傷ビラ事件
これも入社当初でしたが、度々中傷ビラをまかれました。
深夜から早朝にかけて時々まいているようで、住宅街などの道路や歩道に大量に中傷ビラが落ちていました。
ある日の早朝、突然連絡が入るんです。
「やられた」と。
学習塾勤務というのは、教える対象にもよりますが、夜型勤務が普通です。授業終了が大体22時くらい。そこから後片付けや終了ミーティングをして、帰宅するともう0時近くになっていることもよくあります。
そういうリズムで生活していると、午前7時とか8時なんて、かなりの早朝です。このかなりの早朝に、「やられた」と連絡が入るわけです。
証拠をつかむ目的で、深夜から朝方まで張り込みもしました。刑事ドラマみたい。
結局、犯人は現れませんでした。もし現れても、出て行って争いごとになると大変なので、出ていかずに証拠を集めるよう言われていました。
犯行現場に出くわしてしまうと、何が起きるかわかりません。これで良かったと思っています。
しばらくするとビラはまかれなくなりました。今でも犯人は分からないままです。
ポスティング
生徒募集のため、近くの住宅地に募集のチラシをポスティングしたりもしました。業者にやってもらうとお金がかかるので、自分でチラシをデザインして何千枚も印刷し、ポスティングも自分たちでやりました。
チラシを見て申し込みに来ました〜という方が何人かいて、ありがたかったです。
今でも、その辺の住宅地を歩いたりすると、思い出しますね。
時代の流れには逆らえず
現場重視の経営スタイルで生き残ってきた学習塾でしたが、少子化・塾乱立のこの時代、このままでは経営も厳しかったようです。他の大手学習塾と経営統合し、経営スタイルも変わってきてしまいました。
自分が納得できないことも増え、こんなの間違っている!と思うことも多くなり、辞意を伝えました。
今振り返ればそれは生き残りのために必要なことだったのでしょうが、当時の私はまだまだ若く、そういう理解ができませんでした。
勤務したのはほぼ3年間でしたが、授業のやり方だけでなく、他人に物を伝えるスキルを身につけることができ、その後の人生にも大いに役立っています。
かなり多忙で濃密な3年間でした。
ありがとうございました。
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