転職する?

塾講師かデザイナーか

当時一世を風靡した iMac を手に入れ、学習塾の職場でデザインの仕事もやるようになった私は、学生時代の就職活動であきらめていた、デザイン業界への再挑戦の気持ちが出てきました。

あきらめた原因の一つは、大都会・東京での生活は私には向いていない、合わないと感じたから。デザインの仕事自体は嫌ではありませんでした。





学習塾でものを教える仕事は、やりがいのある仕事でしたし、私に向いていると感じていました。これも嫌ではありませんでした。

ただ当時勤務していた学習塾では、経営をめぐっていろいろとゴタゴタがあり、業績も右肩下がりとなってきていました。



今思えば、右肩下がりの原因は、私も含めた現場の先生方の力量不足もあるので、決して経営をめぐったゴタゴタだけが原因ではありません。

ただ当時の私はまだ若く、そうとは思えず、愚痴不平不満も増え、モチベーションを保つことが難しくなってきていました。現場の他の先生たちのモチベーションも下がり気味となっていました。


ペン画で生活するのが一番いいのですが、当時の私は、ペン画が生活の糧になるとは思っていませんでした。スキルもまだまだみじく者でしたし。

時代はちょうど1999年から2000年に変わろうとしている頃。名古屋を中心に、デザインの仕事ができるところを探し始めました。転職活動開始しました



厳しい現実

かつて大学時代、東京で就職活動をしていた頃は、大都会が嫌でしたが・・。

名古屋市も東京ほどではないにしろ、都会です。ただ同じ県内だし、学習塾内とはいえデザインの実務をいろいろこなしてきた経験があり、ある程度自信がありました。やっていけるんじゃないか・・。

しかしそこで目の当たりにしたのは、厳しい現実でした。


当時の私は20代後半、もうすぐ30代になろうかという頃でした。





私がやりたかったデザインの実務は、どちらかというと20代前半までの若者が中心。

20代後半ともなると、ディレクターとして現場をマネジメントする立場。

まあまあいい作品だが、プロとして素晴らしいというほどではない。

まだまだ経験不足





大体どこに行ってもこんな感じでした。

運よく?運悪く?

確かに、おっしゃることもっともです。今までは学習塾業界の中で、デザインの仕事をしてきました。言ってしまえば、おまけ的な仕事でした。

デザイン業界のプロの世界の中では、井の中の蛙です。みなさんちゃんと見る目があります。


そんな状況であるにも関わらず、1社だけ運よく内定をいただきました。




今なら、そんな井の中の蛙を採用してもモノになるかどうか判らないし、苦労するに決まっていると思うでしょうが、当時の私はそんなこと分かりませんでした。

ここにしよう!と決めて、当時勤務していた学習塾に辞意を伝えました。

学習塾へ感謝

いろいろと大変なこと、理不尽な事もありましたが、人生初めての正社員となった学習塾ではペン画を始めるきっかけをいただきました。





また、初めての社会人として仕事の進め方の基本を身につけることができました。
かなりやることが多いハードな職場で、どうやって仕事の優先順位をつけ、どうやって処理していくか、そんなことを身につけることができました。

いろいろありましたが、楽しい思い出も多いし、勉強になりました。感謝です。

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