就職戦線異常だらけ

教育実習、卒業制作、卒業論文、卒業公演、アルバイトと苦労しながらも順調にこなしていったのですが、就職活動はうまく行きませんでした。

美大芸大で学ぶこと

美大や芸大に行けば、絵の描き方デザインのやり方は授業で行います。筑波大学のような総合大学なら、一般教養もそれなりにがっつり学ぶことができます。

ただ、絵で食べていく方法は教えてくれません。外国の学校なら、そういう授業もあるようですが。





美大・芸大のデザイン科で学んだ後なら、デザイン関係の会社広告代理店に就職するという道があります。

油彩や日本画、彫刻科等なら、学校の先生をしながら絵を描き続けていくか、絵とは関係ない会社に就職して会社員をしながら絵を描き続けていく方が多いです。

就職せず大学院で制作を続けるとか、逆に絵は趣味として割り切るとか、そういう選択肢もあります。





どのような道を進むにしても、どんなに絵が上手な人でも、卒業してすぐ絵描きとして生活できる人は、まずいません。

美大・芸大に限らず、専門学校でも似たようなものです。絵の道を目指すなら、ぜひその点を覚えておきましょう。絵で食べていくには、絵を描くこと以外に、ビジネスのスキルが必要になります。

会社に就職するにしろ、バイトに精を出すにしろ、初めは仕事をこなしながら社会の仕組みを勉強する、というのは決して遠回りではありません。

私の就職活動

当時の私は、絵を描いて生活するなんて夢物語にしか思えず、とりあえずデザイン系の会社を目指して就職活動を開始しました。



運悪く?(運よく?)時はバブル崩壊後の超就職氷河期。若干名の募集の会社の説明会に、100人以上の学生たちが集まる、なんてしょっちゅうでした。


みんな黒いリクルートスーツ、当時はただ必死で何とも思いませんでしたが、異様な風景ですね。




会社の採用担当の方も、

「うちみたいな大したことない会社に、こんなに集まるなんて・・・」

ぼそっと呟いていました。





筑波大学は茨城県つくば市にありましたが、つくば市付近ではデザイン系の会社なんて全くないので、東京へ出ることになります。

北関東付近に住んだことがある方ならわかると思いますが、当時東京へ行くということは、結構重い腰を上げる必要がありました。何しろつくば市は「陸の孤島」とも呼ばれていました。

今ならつくばエキスプレスという便利なものがありますが、当時は高速バスJR常磐線のどちらかでした。

高速バスは首都高速での渋滞具合で到着時間が左右されてしまうため、就職活動の手段としては適していません、みんなJR常磐線を使っていました。



デザイン系で就職活動となると、自分の作品を見せる必要があります。大きな作品から小さな作品まで結構な荷物を持ち、満員電車に揺られて東京のあちこちを回りました。

当時、Googleマップなんて便利なものはなかったので、路線や時刻をきっちり下調べして、乗り換えを間違えないよう緊張してあちこち回りました。





うまくいけば、1年後は、こうやって満員電車に揺られて通勤しているはず・・・
なのですが、とても信じられませんでした。






慣れてしまえばどうということはないであろうこの経験が、当時の自分にはかなりキツイと感じました。全てが過密な満員電車、東京のコンクリートジャングル、耐えられないかも、と思いました。




そんなネガティブな考え方での就職活動、しかもデザインのスキルなんて素人に毛の生えた程度の私は、あちこちの会社を回ったものの

「今回はご縁がありませんでした」

ばかりでした。


時代が悪かったという考え方もありますが、超就職氷河期という時代でも、周りの優秀なデザイナーの卵たちは、苦労しつつも内定をもらっていました。



会社員から教師へ

そうなってくると、自然といろいろ考えます。そもそも何がしたいのか?

東京でデザインの仕事をしたいのか?
まだまだみじく者ではあるが、その面白さは何となく分かってきた。仕事としてスキルアップを目指すのもいいかも。
ただし、東京(またはその通勤圏内)には住みたくない。
(今ならそれも面白そう、と思ますが)

イラストとか絵とか、描きたいのか?
絵は描きたいが、絵を描くことでは生活できない。(と当時は思っていた)

楽しいことはあるか?
教育実習が楽しかった。(苦しいことも多かったけど)





そういう訳で、東京での就職はやめて(あきらめて)地元に戻り、教職を目指すことにしました。この時、教員養成課程を履修していて、ホントよかったと思いました。



ただしその年の教員採用試験は終了しているので、就職浪人というやつになります。

周りからは、

「1年大学に残ってこっちでやればいい」

とも言われましたが、浪人留年のどちらを選ぶか、となった時、私は浪人を選びました。
経済的な理由もありましたが、環境を変えないと教員採用試験に打ち込むなんてできませんよね。

前回のお話

卒業に向けて〜卒業制作展

アトリエ松竹梅物語、大学時代の一番の山である卒業制作が終わった後です。 卒業制作が終われば、あとは卒業を待つばかり、お別れする友人や後輩たちと飲み会したり、卒業…

続きのお話

卒業しても波瀾万丈

アトリエ松竹梅物語、今回は、美大卒業後です。卒業したからと言っても、明るい未来が待っているわけではありません。 筑波大学を卒業し、地元で教員採用試験を受験するた…

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