筑波大学受験
アトリエ松竹梅物語、いよいよ受験となります。いきなり本命の筑波大学からとなります。いきなり本命、大丈夫か?
いざ、決戦の地へ
筑波大学へ志望校を変更した私は、高校へもその旨を伝え、出願をしました。
試験は2日間あり、愛知県から日帰りでは無理だったため、出願書類の中に入っていた民宿を予約しました。
そして新幹線に乗り、いざ決戦の地、つくばへ。
ちなみに大学名は「筑波大学」と漢字ですが、地名は「茨城県つくば市」と、ひらがな表記です。ややこしいです。
あと、つくば市は東京都ではありませんよ。(それまで私は勘違いしていました)
陸の孤島
東京や北関東に住んでいる方なら分かるかと思いますが、行くのは大変で、当時は陸の孤島とも呼ばれていました。
①新幹線で東京まで行き、
②JR山手線で上野まで行き、
③常磐線に乗り換えて茨城県の土浦まで行き、
④バスに乗ってつくばまで行けます。
東京から2〜3時間ってところですね。
あるいは、東京駅の八重洲口から筑波行きの高速バスが出ています。大学生時代はよく利用しましたが、まだ受験当時は知りませんでした。
こちらは首都高速の混み具合で所要時間が大きく変わります。
今なら秋葉原からつくばエキスプレスという便利な路線が開通していて、45分で行けるそうです。私の学生時代はまだなかったので、乗ったことないけど。
バスの車窓から見る景色がどんどん田舎になっていきました。うわさ通り。
上記フリー画像は緑ですが、実際は冬の茶色の景色。
「火曜サスペンスなら降りたところで・・・」
と、やや不安になりました。
つくば市は研究学園都市とも呼ばれていて、大学を中心とした研究施設以外たいした娯楽もなく、周りは超田舎、自殺者も多いという評判でした。
色々な人に心配されることもありました。
「筑波に行くの?自殺しないでね」って感じ。
まあ自分は大丈夫だろうという、根拠のない確信がありましたけど。
民宿で出会った仲間
民宿は相部屋でしたが、一緒の部屋になった人が体育専門学群受験であり、ほっと安心しました。
安心って、なぜでしょう?
芸術専門学群も体育専門学群も、試験科目は実技試験のみであり、いわゆるお勉強の試験ではありません。いまさらデッサンの復習をするような状況ではないし、道具も最低限しか持ってきていません。
相部屋の方がカリカリ勉強していたら、こちらはとても気を遣ってしまいます。
その必要がないため、お互い安心して仲良くなりました。
よく、人は民宿に出会いを求めてやってくるといいますが、まさにその通りでした。受験でプレッシャーがかかるはずなのですが、おかげさまで楽しくリラックスして過ごすことができました。
近くの公園でボール遊びしたり、身の上話をしたり、一緒に風呂に入ったりしました。
肝心の試験は?
試験の方は、鉛筆デッサンと平面構成、面接が2日間かけて行われました。
民宿と大学の往復はタクシー利用。1日目の帰りに乗ったタクシーの運転手さんと、2日目の帰りに乗ったタクシーの運転手さんが同じ人でびっくり。
「昨日のあんちゃんじゃん。どうだった?」
と聞かれました。不思議なこともあるものです。
手ごたえは・・・
全く手ごたえなく、正直失敗したと思いました。
鉛筆デッサンはいつも通りできたのですが、平面構成が「音と光のショー」のポスター制作。これに失敗しました。
制作途中で、ああすればよかった、こうすればよかったの連続。修正する時間もないし、周りの人はみんないいもの作っているように見え、納得のいかないままタイムアップしました。
今振り返ると、それが当時の実力だったのだと思います。
正直、落ちたかもと思いつつ、仲良くなった相部屋の友達には
「来年大学で会おう」
と言葉を交わして帰路につきました。
我ながら、青春してんじゃん。
この時の友達は3名いましたが、そのうち1人だけ不合格で再会できませんでした。他の2名とは無事再会できました。
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