進路について
アトリエ松竹梅物語、第2回となる今回は、進路決定についてです。好きなことをして生きていくって魅力的ですが、たいてい反対されますね。
高校2年の頃、本当に偶然でしたが美術の楽しさを発見し、授業の課題にも真剣に取り組むようになりました。
当時よく一緒にいた美術部の部員には、もっと前から美術に真剣に取り組んでいる人が何人かいました。
そんな人は美大・芸大受験に向けて、早くからデッサンの勉強をしたり、油絵を描いたり、平面構成をやったり、将来に向けて頑張っていました。
それに比べて自分は、やっと絵を描く楽しさに目覚めた頃。遅いね・・。
高校卒業後の進路について
高校3年生に進学したばかりの頃、まさか自分が美大・芸大を受験するなんて思ってませんでした。進路についてはまだ何も考えていませんでした。
理系クラスに在籍していたので、何となく工学科とか機械とか理系の大学に進学し、会社に就職すると思ってました。
進路指導の一環で、職業選択についての指導もあり、公務員、教師、メーカー、医者、薬剤師、色々な職業についての説明も受けました。そしていろいろ、人生について考えました。
ただ、私にはどの職業もピンときませんでした。
会社員になって毎日同じように会社に行き、同じような仕事をして、同じような日常を過ごして歳をとって老人になっていく、そんな人生がなんだか信じられませんでした。
注:当時の私が勝手に抱いていた偏見です。会社員を否定しているわけではありません。
会社に行っても、同じ仕事の同じ日常を繰り返すことなるかどうか、なんて、本人次第です。1年前の自分を振り返り、何も変化がないと感じたら、それはつまり1年間で何も成長していないということです。
要注意ですね。
絵で生きていこう
それまでの私は「やりたいことは何ですか?」と聞かれたら「よく分かりません」と答えていました。
しかしこの時「絵で生きていきたい」という気持ちが出始めました。
「美大・芸大を受けたい」という希望を親に言った時は、当然もめました。
当たり前ですね。これまでずっと漫画ばかり描いていたんだから。漫画なんか描いていても人生失敗し露頭に迷うと思っていたと思います。(漫画家に失礼、すみません)
通っていた高校は地元でもトップクラスの進学校(不思議なるかな、実はそうなんです)で、大学に行き、就職すれば安定した生活を送ることができます。
時はようやく昭和から平成に変わった頃。まだまだ日本は、1億総中流・バブル景気の時代の終盤です。好きなことをして生きていく、なんて人は少数派でした。
結果的には筑波大学の芸術専門学群視覚伝達デザインコースに入学することになります。当時の私はよく分かりませんでしたが、絵を描くこととデザインすることは、厳密には違う作業です。
ですので、100%希望通り、ではないです。しかしデザインの勉強も楽しく、面白く、ためになります。絵を描いて生きていく方法なんて、どの学校でも教えてくれません。(教えてくれませんよどこも)デザインならいろいろ仕事へ応用できます。
何も知らないままこの世界に飛び込んだ私でしたが、これから激しい荒波に翻弄されていくことなど、つゆとも思っていませんでした。
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